1949-04-11 第5回国会 衆議院 運輸委員会 第4号
宮城縣柴田郡船岡町に昭和十四年ごろ海軍第一火藥廠という数万人の職工さんを使うところの大きな工廠ができ上りました。同時に海軍共済病院という病院ができ上りまして、ベッド数約三百ほどの地方にとつて大病院であります。
宮城縣柴田郡船岡町に昭和十四年ごろ海軍第一火藥廠という数万人の職工さんを使うところの大きな工廠ができ上りました。同時に海軍共済病院という病院ができ上りまして、ベッド数約三百ほどの地方にとつて大病院であります。
それから請願文書表第二百二十八号、請願者は宮城縣柴田郡大河原町大河原國民健康保險組合理事長三浦孫一郎氏からの請願であります。これも同様な内容を持つたものでございます。尚請願文書表第二百六十八号、これも岐阜縣大野郡大八賀村松之木一一九ノ二大八賀村農業協同組合長川尻氏の請願であります。この内容も同様であります。
私は青森縣出身でありますが、これは宮城縣柴田郡の槻木中學校の加藤という生徒から來たのであります。参考までに讀んでみますと、「お元氣ですか。僕たち新制中學生は毎日元氣に樂しく暮しています。たが困つたことに、わが校舎が一棟しかありません。その代り校舎で小學校のもの、便所などは雨が降ると雨は漏るし、勉強した甲斐もありません。もしも中學校を建てなくては、日本をほろぼす蟲みたいになるのではありませんか。
○羽仁五郎君 これはきつと文教委員の皆さんの所にも参つておると思いますが、私の所に、宮城縣柴田郡村田町の新制中学校の男女の生徒、鈴木琴子君その他数名から、手紙と葉書が來ておりますが、こういう葉書や手紙を読んでみますと、その中に、新制中学に今通つている子供たちが実に喜びに溢れている、ところがその新制中学の設備が非常に不完全で、第一に机がない、それから教科書がない、それから体操場が小学校と共通であるために
○庄司一郎君 本請願は宮城縣柴田郡富岡村村長、同郡川崎村村長ほか三百七十五名の連署連名によるところの請願でございます。宮城縣柴田郡川崎村及び富岡村の二村を挟んでその中央を流れる北川という小さな川と前川というささやかな小川がございます。この二つの川が約三里の下流において合流をして名取川となりまして、太平洋の閖上港というところに注ぎます。
すなわち本請願は宮城縣柴田郡船岡町長、宮城縣柴田郡大河原町長、宮城縣伊具郡北郷村長、これら三箇町村長の名によつて、おのおの町村會の協議の決議の上において提出されております。 請願の内容を簡單に申し上げるならば、昭和十三年宮城縣柴田郡船岡町に第一海軍火藥厰が設置せられ、當時地元船岡町は大部分の耕地及び山林を敷地をして買收されました。